・シーボルトからもらった「Flora Japonica」を読み解き、「秦西本草名疏」という本を出す。(27歳、1829年)
「秦西」とは西洋のこと。「本草」とは植物のこと。出版にあたり、土地・家屋などを担保にして、多額の費用をかけ印刷したようです。
・この本によって、圭介は有名になる。
・リンネという人のつくった植物分類法を分かりやすく説明し、日本で初めて紹介。
・花粉、おしべ、めしべなどの用語を考えだし、花の役割を説明。
【圭介の教え】
「何でも、発見したり研究したことは、どんな方法でもよいので発表しなさい。
発表したことが後で間違っているとわかっても、そのことについて、他の人と言い合うことが学問の進歩につながるのだから」
※考えたことは、「間違っているかも…。こんなことは発表したら笑われてしまうかも…。」と思わずに発表しよう。
間違っていても、笑われてもそれが自分やみんなの勉強になるのです。
・『泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)』は、おしべ・めしべ・花粉の言葉を初めて使い、日本でリンネの植物分類法を最初に紹介した。
『フロラ・ヤポニカ』の著者ツュンベリーの肖像画
・『フロラ・ヤポニカ』は圭介が長崎から名古屋に帰る時、シーボルトから手渡された植物学の書物。
・「質物書入申家屋敷之事」は『泰西本草名疏』の出版のため、家屋敷などを担保に150両の費用を借りた証文。