・1803(享和3年)名古屋に生まれた伊藤圭介は医者だけれど植物大好きな若者。
・長崎(出島)にいたシーボルトに、熱田の宮(名古屋)で出会う。(24歳、1826年)
・シーボルトから、長崎の出島に来て勉強しないかと言われ、その気に。どうにか家族を説得し、長崎へ。長崎へ行ける事になった圭介:「終生の喜び」
・半年後、名古屋に帰るとき、シーボルトから「Flora Japonica」(日本植物誌。著者 植物学者ツュンベリー)をもらう。シーボルト:「この書を翻いて勉学に努められよ」
・帰路、大事に抱えて運んでいた「Flora Japonica」が、お金と間違われ、盗まれてしまう。その後、本が見つかった時の圭介 「わが子のようにこれを抱きしめ、小躍りして喜んだ」
【圭介の評判】
・シーボルトは、圭介を弟子であるとともに先生だと発言。「余は圭介の師であるとともに、また圭介は余の師である」
・オランダのライデン市にある国立植物標本館に、圭介の作った植物標本が今も多数保管されている。
植物標本とは、調査記録と実物の植物を乾燥して貼ったものです。
・名古屋の絵師の森高雅(もりたかまさ)が描いた伊藤圭介30歳頃の肖像画
・シーボルトから譲り受けたといわれる携帯式顕微鏡
・長崎で、シーボルトに協力して編集したといわれる植物標本帳『花腊葉腊雑纂(かさくようさくざっさん)』
・シーボルト生誕100年記念メダル